昭和41年04月28日 夜の御理解
おかげは絶対、こういう受け方をしていきゃ、絶対に信心はつまっていく。頂き方とかを、受け方というのが、出来ていってまいりませんと、信心がちゃんとしてまいりません人間の事ですから、どこにお粗末があるやら、ご無礼があるやらわかりません。ですからこれは、まあご無礼はご無礼としましてですね、たとえてあのう、申しますなら、今日は、親教会の御大祭でございました。丁度神饌がだんだん先生方の手から手に渡って、まぁ、ほとんど半分ほど、進んだじぶんでございましたでしょうあのう。
神饌室から、果物が、神饌の方達の手によって、こう受け渡されますときに、あっという間に、その、お三宝うから、籠がころげおちちゃったんですね。もうそれこそひとっつ是だけひとつ転げ落ちたっちゅならまだね、いいんですけどもうバナナとか何とかもってあったですけども、もうひっくりがえったごとして、籠ですから、全部、そこへ、散らかってしまった。もうさあ、それを拾うてお供えするわけにもいかん。
結局お三宝一台、その不意にしてしもうたわけなんですね。また御祭典中に、あの鯉のお供えがしてはございましたけど、金のふた、ふたがしてあってたんですけども金のあのうふたを、パーンと跳ね上げてから、して、バチャーンというて、あのなんか、音がしたと思ったら、もう落ちているんですね。もう本当に、まぁ、拝ましていただきよっても、ひやひやするような事でございましたけれども。
お説教の中に、薬院の先生が、昨日から、ちょうどあちらの娘婿にあたられますからね、昨日お説教をなさったかたです。昨日からみえられて、昨日から、その、神饌を、全部、自分がさせていただいたと。本当に、あいすまんことであったと、本当にもう、あいすまんことであった自分が、ほんとうに、間違いがあったに違いないと。本当にあいすまんと。思わせていただいておったら、父が、とこういわれる。
まぁその、お父さんの事ですねいわゆる親先生のことです。今只今、お祭りを済みましたら、みんなの参員の先生方の前で、きょうは本当に、とんだご無礼をいたいしましてから、御祭典、御祭事を乱してしもうて、本当にあたくしはもう、昔ならば腹切ってでも、もうしわけせんならんような、失態でございましたと、あいすまんことでございましたと言うて、父がおわびをしておられました。というて、お話があっておりましたが、また親先生も、後からお話のときにそのことを申しておられました。
本当にあいすまんことであったと。同時にあの中には結局みんなのお供えとか、祭典費とか言うようなものがいってそれで壊れたのであるから、そこをこんど信者私どものがわといたしましてもですね、自分の神饌、祭典費にお粗末ご無礼があったのではなかろうか?自分のお供えしておった、何かにご無礼がなかったあったのでなかったろうかと、それこそめいめいがね、そういう頂き方をすればもう絶対間違いないです。
あんたどんが盛りようが悪かったろたい。あんたどんが手長しっとるとき、ろくそにしとろうたい。ね、これはどうも信者がお供えっすときに、不浄がかっかとる。とたとえば、もう先生がそのような事では、もう絶対その教会はおかげいただきませんですね。ね、だからこれは、んなら私達、信者なら信者、神饌をなさった方は神饌をなさった方、親先生は親先生でとしてです、それだけのものを、神様の前に本当にお詫びが出来るならばですたい、もう絶対おかげです。
もう、この生き方しかないです。信心はお道の信心では。ね、子どもが出来そこのうた、っていうのではなくて、もう本当に、親自体がですたい、あたくし、親自体の、信心の不行き届きであり、お粗末ご無礼であるとしてです、その、できそこのうていく、子どもにお詫びをするごたる気持ち、もうこの生き方でさえいけばいい。そこんところを、甘木の初代はですね、我よしと、思う心を仇としてと、おっしゃる。自分がよいと思う心をです、もう敵のように思うていけと、日ごと夜毎に戦いていけと。
そのここと。ね、たとえば、んなら、ここのお広前ならお広前での事で、様々な、おかげを受けたり、おとしたりいたしますときにです、本当に神様、あたくしの不行き届きがこのようなことになりまして、あいすみませんと。詫びただけではいけん、言うただけではいけん。口で言うとるだけではつまらん。心の中じゃありが、無信心だからと思いながら、口でだけで、あたしがつまらんもんじゃけん、というたもんじゃつまらん。だからその証拠はです、その次の御比例。次のおかげで決まってくるです。
そこんところを神様責めなさるような神様じゃない。ち。お粗末もあろう。ご無礼もあろうっち。けれどそこんところを、我よしと思う心を敵のように思うて取り組んで、ほんとうに、それこそ今日、親先生なら親先生がほんとに切腹するごたる気持ちでいうなら、もう、明日から御比例がたっだろうとおもいますね。あたくし。本当に薬院の先生がおしゃたようにですたい、あたしが神饌して、あたしがお粗末ご無礼があったというならです、薬院の先生ご自身が、それこそ、生き生きしたよろこびを、受けられなさるだろう。そのよろこびのおかげともなるだろう。とわたくしは思うですね。
ですが、あれが口だけじゃいかん。もう真剣に、ほんとに、そういうです、頂き方。これがあたしは、お道の信心のおかげを頂いていくには、そういう生き方。受け方。信心をすすめていくということは、あたくしどもは、何か、お粗末ご無礼があったたんびんです、自分の今まで気がつかなかった、その、お粗末ご無礼に気づかせてもろうてそこんところを、改めて飛躍していくのですから、信心が育たんはずはないですよね。
どうぞ。